忘却の彼方にある廃校:東ノ川小中学校(奈良県上北山村)

消滅してしまった集落近くに残る校舎

下北山村の中心から東北方面に行くと上北山村に入るが、日中であっても道路を行き交う車はほとんどなく、人の姿はおろか建物すら見当たらない山中に東ノ川小中学校は今でもたたずんでいる。熊野川の電気開発計画で坂本ダムの建設によって、村の一部が水没してしまうため、その代わりとして建てられた校舎だ。

この学校はダム建設の補償金で建てられた学校で、1964年(昭和39年)当時としては珍しい鉄筋コンクリート構造の二階建て校舎だった。

一帯は平地がほとんど存在しない川と山しかないような場所であり、東ノ川小中学校が建設される少し前までは林業で賑わっていたそうだ。

東ノ川付近では大塚・坂本・出合・古川・宮ノ平・五味・出口という集落があり、1955年(昭和30年)には375人の人口がいた(国勢調査より)ことから、小さな村とは言え人々の生活を感じる程度には栄えていたのだろう。

しかし、この校舎が開校される頃には林業が突然衰退してしまったため、人口が大きく減少。ひどい時は生徒が誰もいないという事態も発生し、結局、この校舎で学んだのは開校から閉校するまでたった5人だけだった。

開校から5年、1969年(昭和44年)に休校となり、そのまま放置されてしまったと思われる。もっともこのタイミングで周りの集落の人口も0人となってしまったため、誰も彼もがこの土地から離れてしまっていた。

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地元の族によって荒らされてはいるが、風情は残っている

東ノ川小中学校の校舎は沿道より少し高台に作られている。手前側に車を停められる空き地があるのだが、おそらく運動場として使われていたのではないだろうか。

中に入ると、地元の族同士の戦闘の跡なのか落書きやら様々なものが見受けられる。
ただ徹底的に破壊されているものの、校舎自体は廃虚のそれらしく美しい形で残っていた。

撮影日はあいにくの雨だったが、その曇り空と山の緑。そして寂しく残った廃虚の空間が見事にマッチしていた。

所在地

尾鷲または下北山村から国道425号線を走り、県道228号線に入ってしばらく走ると東側に校舎が見えてくる。
尾鷲方面からだと大丈夫かもしれないが、下北山村からだとかなり険しくカーブの多い山道を走ることになるため、山道に慣れていない人はかなり苦労することになるだろう。

またいくつか交差点があるものの、入る場所を間違えると確実に迷ってしまう。

道のイメージ写真をGoogleMapから出してみたので参考にされたい。この先を少し進めば校舎にたどり着くわけだが、このような細い道を多く走らなければならないため、覚悟は必要だ。

携帯の電波も入らない地域であるため、事前に走行計画はしっかりと立てておいたほうが良いだろう。

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