凌雲閣基礎(東京都台東区)

凌雲閣(浅草十二階)基礎と思われる部分1

明治~大正末期にかけて建てられていた、かつての「スカイツリー」

かつて明治から大正末期にかけて東京の浅草に十二階建ての塔が建てられていた。
当時としては日本で最も高い建築物であり(現在のスカイツリーがいい例だが)、「雲を凌ぐほど高い」という意味が名づけられたことから、凌雲閣という名称らしい。スカイツリーが雲の上に突き出ることもあるが、そこから比べればとても雲を超えることなど現代人には想像がつかないだろう。とは言え、平屋が当たり前の時代ということを考えれば、当時の人々の気持ちもわからなくはない。



1923年(大正12年)に発生した関東大震災により半壊。その後、解体されているため、現在ではその姿を見ることはできなくなってしまった。
しかし、日本初の電動式エレベーターが備えられていたこともあって、倒壊した塔とはいえ、現在も有名な名所だったということで人々の知るところになっている。

2018年2月に瞬く間に話が広まった凌雲閣(浅草十二階)の遺構

そんな現在では姿形もない凌雲閣だが、たまたまTwitter上でツイートされたことで、ファンが反応した。
ちなみに私はたまたま友人がこれを見に行くと言うので便乗した。当方はiPhone片手にだったが、中にはハッセルまで持ち出している人がいた。今思えば、ちゃんとカメラを持ってくるべきだったかもしれない・・・。

なんと遠方からもこのために来た方がいらっしゃるとか・・・。

関連するツイートをあさっていると、どうやら当時建てられていたとされる明確な場所が不明だったらしい。旧地名で「東京市浅草区千束町二丁目三十八番地」とあるが、今回発見された工事現場の場所はこちら。

国際通りや花やしきのある表通りから少し裏側に入った位置にあるので、土地勘があるとわかりにくいかもしれないが、商店街を目印にすればすぐにわかる場所にある

千束町二丁目は現在の浅草二丁目にあたるため、かつて凌雲閣が建っていたと考えると合点がいくだろう。
つくばエクスプレス「浅草駅」A出口より徒歩1分。出口から出るとほぼ目と鼻の先にある。

発見当初からしばらくしてレンガが配られ始めたが・・・

2/13に(工事現場の善意なのかもしれないが)レンガが配られたというツイートを皮切りに、一気に注目を浴び始める。

翌日の2/14には朝10時の時点で現場に30名ほどの人がおり、その90分後には60名近くは殺到。現場が危険な状況になることもあってか、結果的に手で配るというよりは廃材から漁るようなかたちで受け取ることになった。

なんと現場にはALFEEの坂崎幸之助さんの姿も。

前日の2/13にはそこそこの大きさのものは配られてしまったのか、あるいは廃材置き場から漁るような感じになってしまったせいで、レンガの大きさはマチマチ(写真は当サイト協力者からの提供)
とはいえ、ここで拾えるものはレンガ以外に日本最古とも言われるコンクリートもある(と、現場にやってきた学者が言っていたのだが)ということから、非常に希少性の高いものと考えていいかもしれない(煽りたいわけではないが)

凌雲閣基礎のレンガ片
凌雲閣基礎のレンガのかたまり

この混乱は結局14日午後には配布がなくなったと聞いている(そもそも混乱が度を越してしまったところもあるらしく、配布はなくなった)が、関連のツイートを見ていると、出土したレンガ、コンクリートは台東区に寄贈され、記念碑を設置する方向で話が進んでいる。

さて今回発見された肝心の遺構であるが、塔の基礎としてレンガが使われているのは少し謎が残った。建築の専門家でも何でもないずぶの素人なので、昔はそうした建築方法だったのかもしれないが、それでもレンガで基礎が作れるものだろうか・・・と。思ったのは、もしかしたらエレベーターの動力室のようなものではないだろうか、ということだ。
こちらは詳しい方が調べたりすると思うので、その報告を待ちたい

現場を動画で残してみた

向きが少し真正面でないため、少しわかりにくいかもしれないが、現場の広さと見つかった遺構のサイズ感がわかるような動画を作ってみた。
ご参考までに。

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中の人は廃墟7割、離島1割、珍スポ1割、モデル撮影1割で構成されていると思われるフォトグラファー。廃墟好きをこじらせていろんなアイテムを作って遊んでます。
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