防波堤として生まれ変わった廃船:武智丸(広島県呉市)

第二武智丸内部(入り口より中心)

第二次世界大戦時代の廃船

武智丸は正確には廃墟ではなく廃船である。
第二次世界大戦時代、国内にある様々な物資が困窮の一途をたどる中、造船用の鋼材も不足したことから、コンクリートによる造船で切り抜けようとした。
武智丸はその一つであり、武智丸の一番艦である第一武智丸が竣工したのは1944年(昭和19年)6月のことである。
艦艇としての武智丸の目的は戦闘艦ではなく輸送艦としての役割であり、石炭や製鋼原料、雑貨輸送を任務として瀬戸内海、一部は南部の海洋で利用されていた。
一般的に造船で用いられる資材と言えば、鉄鋼か木材が普通であることは言うまでもないが、この重いコンクリートで船が作られるのかと疑問に思う人も少なくないであろう。
しかし実際には19世紀にヨーロッパで使用されていた実績があり、鋼材で作る船よりも比重が重く手間もかかるのが難点ではあったが、安価なコストで作ることができるという利点があった。太平洋戦争末期において、こうした鋼材を使わない低コストな船、というのは選択肢として取らざるを得なかったものなのであろう。
コンクリート船が作られ当初は集荷を乗せて港内を曳航するパージの役割を担っていたが、戦争で物資が不足した国が輸送船として使うことがあったため、日本だけが採用した、というわけでもなかった。
武智丸は三番艦である第四武智丸まで作られ運用されたが、第三武智丸は小豆島沖で機雷により撃沈。第四武智丸は艤装中に終戦を迎えるも、1945年9月17日に台風のため神戸沖で座礁。
第一と第二が、呉市安浦町にある安浦漁港に残されている。
もっとも第一、第二ともに船舶として華々しい最後を見せたというわけではなく、第一はエンジン故障のため呉市警固屋付近に放置。第二は終戦後も使用可能だったものの大阪商船が払い下げを受けた間もなく、廃船となってしまった。

防波堤としての余生を歩み始める

そんな第一武智丸と第二武智丸であったが転機が訪れる。
台風被害による災害で船が流されるといったことに頭を抱えていた安浦漁港が何度も国に防波堤の建設を陳情するも、一帯の軟弱な地盤や当時の技術的側面、コストのことで難色をしめしていた。
その代案として提示されたのがコンクリートのかたまりでもある武智丸を防波堤の代りにする、というものだった。
実はコンクリート船は鋼材で作った船よりも、水に対する耐久性が高いため防波堤としてはうってつけだったというのだ。
そこで現在の場所に第一武智丸と第二武智丸がつながるように設置され、現在の防波堤代わりとしての武智丸が完成することになった。

武智丸の廃虚としての特徴

廃船ではあるのだが、廃虚としての特徴について触れてみよう。
安浦漁港に鎮座する2つの武智丸は近くを走る国道185号線からでも確認することができる。
なんの前情報もなくパット見た感じではちょっと形の変わった防波堤程度にしか見えないので、場所や形状などは予め頭の中に入れてから向かったほうが良さそうだ。
漁港側に入ればより詳細を見ることができるが、陸地側が第一武智丸。その奥にあるのが第二武智丸となっている。
その両方ともに言えることだが、確かに船の形状はしているもののむき出しのコンクリートでできており、なるほどこれが海原を航海していたのかと思ってしまう。
しかし実際には元々、鋼材で覆われており、朝鮮特需でスクラップ鋼材の価格が高騰していた時期に持ち去られてしまったため、今ではほとんど鉄鋼部分が殆ど残っていない。
無理をせず内部に入ることができるのは、海側にある第二武智丸で骨組みのコンクリートとなった部分を見ることができる。
規模はそんなに大きなものではないものの、他の廃虚にはない味わい深い風景を感じることができる。

所在地

国道185号線沿いの安浦港にある。
ただし港内には駐車場はあるものの、大部分が港湾関係者専用の駐車場であるため、注意が必要である。

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