吉田茂と縁のある美しい廃虚:竹内農場・赤レンガ西洋館(茨城県龍ケ崎市)

竹内農場・赤レンガ西洋館:館内で育つ木

吉田茂とゆかりのある赤レンガ造りの小さな廃虚

現在の日産、コマツ(小松製作所)の創業メンバーの一人である竹内明太郎氏によって建てられたのが、この赤レンガ西洋館である。

静かな農場地帯の一角にあるこの建物は、内閣総理大臣を務めた吉田茂氏も訪れたとか。

1919年(大正8年)9月に着工し、翌1920年(大正9年)の夏に完成したこの施設は、竹内明太郎氏本人の日記から、自分自身の別荘として建てられたことがわかっている。
建物のレンガはオランダ積み(イギリス積み変形)と呼ばれる工法で建てられており、その産地は上敷免製であることがわかったことから、建築資材としては当時の最高級ブランドが使われていたとされている。建物の構造としては地下室付きの2階建て家屋だったようだ。大正時代に建てられた当時のことを考えると、2階建ての地下室付きというのは、やはり豪華な作りだったのではないだろうか。

先の説明の通り、竹内明太郎氏の別荘として建てられた西洋館であったが、その後、実弟である竹内直馬氏が所有し、彼の家族の住まいとなった。
当時からもこの建物のデザインの良さは抜群だったようで、この農地一帯のシンボルマークとして見られている側面もあったようだ。

ところが、1928年(昭和3年)に経営していた竹内鉱業が廃業となり、いよいよ農場の運営も難しくなる。
その時に竹内直馬一家は、この土地から引き上げてしまったと言われている。

その後、戦後には黒田清氏が建物の管理を行うことになった。
このときにはすでに建物の老朽化が始まっていたのか、当時、管理目的で家のない者に無償で住まわせていたときの話で、1階と地下室を隔てる板が抜けてしまい、奥の部屋へ向かうのに違う板をかけて渡ったなどの証言が残っている。建物が建てられてから30年近いタイミングで、建物は相当傷んでいたのだろうと思われる。

結局、老朽化が原因で1952年(昭和27年)に最後の居住者が出ていき、その後は完全に放置されることになった。
地元の人の証言では、1980年代半ばまでは屋根も残っていたそうだが、このあと屋根も崩落してしまったと考えられている。

現在、この土地や建物の管理者となっているのが、太陽光発電業者となっており、この土地一帯に太陽光発電施設を建築することが検討されているそうだが、地元の有志により史跡として残すための運動も起こっている。

そういったこともあり、現在は建物の周りの木々は伐採され、ネットで全体を覆っているため入ることはできない。

所在地

JR常磐線、佐貫駅の東側にある蛇沼公園から見て北東の地域にある。県道48号線長山北交差点近くの細い路地を入っていくと、この建物にめぐりあうことができるが、道が非常に細く、また車を停めておくような場所もないため、外側からさらっと見る程度にしておくのがいいだろう。

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中の人は廃墟7割、離島1割、珍スポ1割、モデル撮影1割で構成されていると思われるフォトグラファー。廃墟好きをこじらせていろんなアイテムを作って遊んでます。